田中のお墓 前方後円墳のお墓 の
下にあるのは本当の大王です
と歴史家の先生が言われました。

明治維新まで田中氏 吹上 居城
 
田中のお城 江戸時代

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 明治維新まで田中氏 吹上御所居城。
吹き上げ 御花畑 100万石 格式。



田中 王道の家訓
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
田中氏 仏壇
 
明治維新まで田中氏 居城
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
初代天皇 継体天皇
 
 西暦527年 継体天皇
明治天皇 1886年(明治19年)より不明 以後記載なし
偽明治天皇こと、山口田布施町出の大村寅之助
明治天皇 正面よりの写真がありません。

1888年 明治21年 明治天皇以下なし現在に至る

天皇は太陽・田中は月に別れる月読命。
 
 
 
田中氏新年お祝い挨拶の返信
 
田中氏 系譜
 
元祖 田中氏

日本で最初に国を治めた古代田族の証明です。

 
 
三菱UFJ銀行の通帳 本人には記憶は御座いません。
三菱銀行が操作した通帳印です八咫烏・ユダヤ商法です。

客観的証拠の提出 三菱が出さない


大切な実印印鑑 上・下反対に押している取引約定書。


株の資金は潤沢であった。
 
田中家・公式書 日本の歴史が分かる大切な書類。


   
公式書 の説明書


1400年前 奈良田中宮 田中廃寺 発掘資料を田中阜様に贈呈する。



187年邪馬台国・女王 卑弥呼 立つ。



藤原良房右大臣 源 融 が左大臣となる。


日本軍・朝鮮に出兵する。


鎌倉幕府、天皇を隠岐に配流する 護良親王。

大王は、王族の一つに 天皇として日本国を治める様 引き渡したが
後に権力が天皇に集中し過ぎた為・鎌倉幕府より権力を奪われ
政治・経済に口を出さない事を、条件に 保護される事となり 
京都に移され 象徴天皇とされる。



248年 このころ卑弥呼 没する。


266年 倭の女王 壱与、晋に朝貢す。


田中氏は蘇我氏・藤原氏・平氏・源氏の総本家。


連続テレビ映画
暴れん坊将軍撮影する



田中大王の仏壇


鳥取藩主池田家をしのぶ会


鳥取藩主池田家をしのぶ会
 
古代大王である田中系の側近 聖徳太子
天皇と田中大王の結婚、側室の婚姻関係にて同盟を保つ

実印が上下反対に捺印しております。他人が押した押印偽造です。
弥生時代 ・ 縄文時代 の幕開け 西暦107年 
倭国王師升、後漢の安帝に生口を献ず。
西暦147年 
このころから倭国大いに乱れる。
西暦188年 
この頃までに、邪馬台国、女王卑弥呼立つ。
西暦239年 
卑弥呼、帯方郡に遺使。
魏の明帝、卑弥呼を親魏 倭王とする。

西暦243年 
倭王、再び魏に遺史、
女王と狗奴国との攻伐の状を報ず。

西暦248年 
このころ、卑弥呼没す。卑弥呼死亡する。
西暦 266年 
倭の女王壱与、晋に朝貢す。
西暦496年
倭王武、梁武帝より征東将軍を授けられる。
西暦507年
大伴金村ら男大迹主を迎え天皇とす(継体天皇)。
初代天皇となる。 
西暦711年〜764年
元明天皇 右大臣 藤原 不比等。

藤原初代右大臣から源右大臣等
540年間続く。
西暦835年 
弘法大師 空海 没す。
861年〜1251年 
清和天皇 藤原 良房 摂関・太政大臣。古代 藤原・源は
540年間、藤原将軍右大臣として国に尽くす。
1603年 
後陽成 天皇 徳川家康将軍 
家康征夷大将軍となり、政権を担う。
江戸幕府を開く四、出雲阿国
京都に至り歌舞伎踊りを
演ず。
1867年 慶応3年 
明治天皇 徳川慶喜 
将軍王政復古の大号令を宣言す。
1886年 明治19年 
明治天皇(以下略)となる。
以後、抹消となり天皇が存在しない。
1922年 大正11年 
首相加藤友三郎 
加藤は藤原一族と同族である。
  
1972年昭和47年
高松塚古墳,壁画の発見 

日中国家正常化なる。
1974年昭和49年 
首相三木武夫 
沖縄本土並返還強く主張



令和の時代

 日本史。 徳川家康人の道 常識・ 教養・道徳心 城主田中378代目
令和の日本と歴史 天皇と八咫烏・  ユダヤ   三菱・天皇・福沢諭吉


天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである

そこで福沢諭吉は.「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与える。 賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出.売却」し.兵器購入資金を作る.というプランであり.天皇一族は.このプランに飛び付き.実行する(福沢諭吉全集.第15巻)。偽明治天皇こと、山口田布施町出の大村寅之助】

【 天皇により経営される日本郵船により.欧米に「売却」された日本人女性は.1人残らず.現地に着くと即座に.売春宿に「連行」され.監禁された。

そして売春を強制された。初めての外国であり.逃げ場も.助けてくれる相手も居ない。数十万人の日本人女性が.天皇によって.売春を強制された。これが従軍慰安婦の原型である。】

  【2008年12月29日 天皇=売春業者】  1885年.天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社.
日本郵船が創立される。明治維新により富国強兵の道を 歩み始めた日本は.欧米から.あらゆる兵器を購入し続けていたが.欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

  そこで福沢諭吉は.「賤業婦人の海外に出稼ぎする公然許可すべき」という指示を天皇に与える。 賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出.売却」し. 兵器購入資金を作る.というプランであり.天皇一族は.このプランに飛び付き.実行する(福沢諭吉全集.第15巻)。

  1900年初頭から.天皇の命令の下.「海外に行けば.良い仕事があり.豊かな生活が出来る」という宣伝が.日本全国で大々的に行われた。日本の健全な家庭に育った.当時の若い女性達は.天皇の言葉を信じた。

天皇一族により.だまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。大部分は健全な家庭に 育った若い女性達であり.天皇は.「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で.欧米の売春業者から女性1人あたり.数千円.当時.普通の会社員であれば10数年分の給与を 手に入れていた。

 その金額が数十万人分=莫大な資金が.この天皇一族のサギ行為.女性の人体販売により.天皇一族に転がり込んだ。
その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが. 大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。
 天皇一族は自分の金儲けのために.健全な若い日本人女性を.だまし.売春婦として.欧米に「売却」して来た。
天皇一族は欧米の売春業者と.タイアップした. 日本の売春業者であった。


天皇により経営される日本郵船により.欧米に「売却」された日本人女性は.1人残らず.現地に着くと即座に.売春宿に「連行」され.監禁された。そして売春を強制された。
初めての外国であり.逃げ場も.助けてくれる相手も居ない。数十万人の日本人女性が.天皇によって.売春を強制された。これが従軍慰安婦の原型である。

 日本郵船の共同経営者.三菱財閥も.この売春業で巨大化した。この莫大な富を生む売春業に参加させてもらった. お礼に.三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を.全額.三菱財閥の出資で建設する。渋谷区下渋谷の第一御領地の 「花御殿」が.昭和天皇の新婚の住居であり.それは.数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で.三菱の 天皇に対する「売春業参加の.お礼」として建設された。 (山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。

 また天皇が大株主であった船舶会社.商船三井も. 天皇と協力し.同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。
 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が 蓄積した財産は.第2次大戦後.日本に進駐してきた 米軍GHQの財務調査官により調査され.当時の金額で 1億ドルを超える.と記録されている。


国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は.女性の人体販売で金儲けし.また日清戦争.日露戦争で中国.ロシアから得た賠償金を.自分の私財として「着服」していた。
戦争中.全ての日本人は餓死寸前の中.軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。そうした重労働と.日本人男性=軍人の死によって.戦争によって得られた賠償金を.国民のためでなく.自分の私的財産として.天皇は着服し.密かに蓄財 していた。


また日本軍が朝鮮.中国に侵略し.朝鮮人.中国人を殺害し. 略奪した貴金属は.天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ.日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という.巨大な壷に蓄財された。中国.朝鮮から略奪された 貴金属.そして賠償金=侵略戦争は.天皇の個人的蓄財のために.行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは.「天皇一族は金銭ギャングである」と.吐き棄てるように語っている(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)。


 1945年.日本の敗戦が決定的になると.天皇一族は. この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ.海外に蓄財を「逃し」始める。
天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて.スイスに850万ポンド.ラテンアメリカに1004万ポンド等. 広島.長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中. 天皇は自分の蓄財を海外に次々と.逃がす事に専念する。
この問題を調査したマーク・ゲインは.海外に天皇が逃した蓄財は.累計で5〜10億ドルに上る.としている(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。

 広島.長崎に原爆が落とされ.膨大な死傷者が出.戦後.日本を.どのように再出発させるか.を考えなくてはならない時期に.天皇は.ひたすら自分の蓄財を守るため.数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

 日銀の地下金庫からは.莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され.アルゼンチンの銀行.そしてスイス銀行まで遠路.運搬されていた。中国では.日本に逃げ戻るための 船舶が無く.逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数.強姦殺人され.子供が殺害されている最中.天皇は貴重な船舶を独占し.自分の金塊を遠路.アルゼンチン.スイス等に運び出していた。

 天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く.日本人の事など. 何も考えていない事は.明白である(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」 マルジュ社)。


  なお.天皇が.第2次大戦中.「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の.天皇の共同経営者が.CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは. 何故なのか?  敵国のCIA対・日本作戦部長と 「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

 天皇は戦後.このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り.CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に.港区の不動産を次々に買収し.またハイテク産業に投資し.莫大な蓄財を.さらに莫大に膨れ上げさせて行く。


天皇は神でも「象徴」でもなく.単なる金儲け主義の.金融ビジネスマンである。
そして.ここでも.「何故か」.CIAと天皇は「共同経営者」である。


 天皇は.1940年代初頭から.スイス銀行に少しづつ 蓄財を「移し」始めるが.ヨーロッパにおいて  ナチス・ヒトラーが.虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

 天皇はヒトラーに請願し.ナチス・ヒトラーの口座の中に.「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい.そこに天皇一族の蓄財を隠していた。天皇と.ヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する.略奪ビジネスのパートナーであり. ナチスと天皇は一体であった(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ・・また.濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年.米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係は.まだ険悪ではなく.日本から.余りに多数の 若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる 事が社会問題化し.それを禁止した法律であった。

 天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の.「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に.1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

 「米国のカリフォルニア州への移民拒否については 日本を憤慨させるに十分なものであった。」

 この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言で  ある。  日本人女性を.だまし.売春婦として米国に「売却」する 天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した.それに 憤慨.激怒し.米国と戦争を始めた.と天皇自身が独白して いるのである。


天皇一族は.神でも.「象徴」でも無く.人間のクズの集団である。


http://alternativereport1.seesaa.net/article/111887599.html  サン ヨリ


【検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。】


【】 政治家の金銭感覚    強制起訴された小沢一郎氏の裁判でヤマ場とされた被告人質問が終った。法廷でのやり取りを報道で知る限り、検察官役の指定弁護士は何を聞き出したいのかが分からないほど同じ質問を繰り返し、検察が作り上げたストーリーを証明する事は出来なかった。

 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。 もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。
従って検察審査会の強制起訴は、 検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。

 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。
 語るに落ちるとはこの事である。 いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。  もはや有罪か無罪かではない。 小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。

 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。 小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。  しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。 繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。 そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。

  政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。 オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?


 政治家の仕事は、国民が納めた税金を無駄にしないよう官僚を監督指導し、国民生活を上向かせる政策を考え、 謀略渦巻く国際社会から国民を守る備えをする事である。 そのため政治家は独自の情報網を構築し、絶えず情報を収集分析して対応策を講じなければならない。

 一人では 出来ない。そのためには人と金が要る。 金のない政治家は官僚の情報に頼るしかなく情報で官僚にコントロールされる。 官僚主導の政治が続く原因の一つは、「政治とカネ」の批判を恐れて集金を自粛する政治家がいる事である。


 今月から始まったアメリカ大統領選挙は集金能力の戦いである。 多くの金を集めた者が 大統領の座を射止める。 オバマは ヒラリーより金を集めたから大統領になれた。そう言うと「清貧」好きな日本のメディアは「オバマの金は個人献金だ」と大嘘を言う。 オバマが集めたのは圧倒的に企業献金で、中でも金融機関からの献金で大統領になれた。 オバマは150億円を 越す巨額の資金を選挙に投入したが、目的は自分を多くの国民に知ってもらうためである。 そうやって国民の心を一つにして未来に向かう。


これがアメリカ大統領選挙でありアメリカ民主主義である。 政治が市民の金銭感覚とかけ離れて一体何が悪いのか。
 スケールは小さいが日本の政治家も20名程度の従業員を抱える企業経営者と同程度の金を動かす必要はある。 グループを束ねる実力者ともなれば10億や20億の 金を持っていてもおかしくない。 それが国民の代表と して行政権力や外国の勢力と【戦う力になる。
【その力を削ごうとするのは国民が自分で自分の首を絞める行為だと私は思う。


 日本の選挙制度はアメリカと同じで個人を売り込む選挙だから金がかかる。 それを悪いと言うから官僚主義が 民主主義に優先する。 それでも金のかからない選挙が 良ければイギリス型の選挙制度を導入すれば良い。


本物のマニフェスト選挙をやれば個人を売り込む必要はなく、ポスターも選挙事務所も街宣車も不要になる。 
「候補者は豚でも良い」と言われる選挙が実現する。


いずれそちらに移行するにせよ今の日本はアメリカ型の選挙なのだから金がかかるのをおかしいと言う方がおかしい。
 金丸自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の裏献金を貰ったとして検察が捜査に乗り出した。 捜査の結果、 献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」へのもので参議院選挙用の陣中見舞いである事が分かった。 しかも既に時効になっていた。 要するに検察が描いたストーリーは間違っていた。

 ところが検察はメディアを使って「金丸悪玉」イメージを流した後で振り上げた拳を下ろせなかった。 しかし 金丸氏を起訴して裁判になれば大恥をかくのは検察である。  ・・・ 小沢一郎氏は金丸氏に進言したように自らも裁判で検察と徹底抗戦する道を選んだ。

検察は土地取引を巡って小沢氏が用立てた4億円の原資に水谷建設から受け取った違法な裏金が含まれているというストーリーを描き、それを隠すために小沢氏が秘書と共謀して政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとしている。

 それを証明する証拠はこれまでのところ石川知裕元秘書の供述調書しかないが、 本人は検事に誘導された供述だとしている。
 その供述調書が証拠採用されるかどうかは2月に決まる。 その決定は裁判所が行政権力の側か 国民主権の側かの リトマス試験紙になる。 そして小沢氏に対する道義的?責任追及も民主主義の側か官主主義の側かを教えてくれるリトマス試験紙になる。


http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/01/post_287.html  サン ヨリ


【理由は、同期の人間の下では働きにくいからというものである。  バカを言っちゃいけないよ。 世の中には、年下の上司に仕えている人間など数え切れないほどいる。 】

【官僚国家の破壊こそ急務】 こんな馬鹿馬鹿しいシステムで運営されている国家があるか?  企業を例に取ってみよう。

経理部や営業部や総務部や人事部や技術部がそれぞれに 社員を募集する。 年間の業務計画は経理部が作成する。
経営陣はすべて社外取締役。部門はそれぞれに子会社や 系列会社を作って自分たちはそこに天下りしていく。
こんな企業が生き延びられるはずはなかろう。 しかし、これが日本なのである。

 イギリスやフランスも官僚制度は守られていると反論 する連中もいる。 しかしそんなことは、今のヨーロッパの体たらくを見てから言って欲しい。
消費税を上げないとギリシアのようになるという。


  ギリシアこそ官僚国家の典型ではないか!


 都合のいい ときだけ外国を引き合いにだすのは彼らの常套手段である。 まず公務員の一括採用こそが緊急の課題である。
キャリアと呼ばれる国家公務員T種試験合格者の忠誠心や帰属意識はどこに向けられているか? 採用された省庁である。 キャリアだけではない。 彼らは国家に雇われたのではなく、個別省庁に雇われているのである。 

彼らはそこで一生を終える。 天下りもその延長線上の事に過ぎない。 ・・・
「人材の一括管理システムの導入」についての現在の検討状況及び進捗如何。いつまでに実現するのか。

また、政府内の担当部署はどこか。 これは天下り問題以上に国の運営方式を変える有効策である。  実現すれば、天下りなど自然消滅していく。
 一人のキャリアが事務次官に出世すると、同期のキャリアはすべて退職する。もちろんただで退職するわけはない。 退職金をもらって天下りしていく。
理由は、同期の人間の下では働きにくいからというものである。


 バカを言っちゃいけないよ。


 世の中には、 年下の上司に仕えている人間など数え切れないほどいる。 一括採用が実施されれば、こんな馬鹿げた慣行もなくなるだろう。
同期入省が10人、20人程度だからこんなことをやっていられる。同期採用が300人もいれば到底不可能であろう。
法務省の改革もすすむだろう。  現在法務省はキャリア官僚の採用はしていない。


どうしているのか? 局別採用という特殊形態である。 法務省の中枢要員は検察庁が採用しているのである。
検察庁が検事として採用した人間が法務省の運営を行っているのである。 一括採用によって、法務省にも普通のキャリアが回される。
検事は検察官の仕事だけすればよくなる。  いいことだらけの一括採用なのだが、当時の政府の答弁書はつれないものであった。

衆議院議員江田憲司君提出国家公務員の一括採用、一括管理システム、天下り等に関する質問に対する答弁書   内閣衆質一六四第三二五号  平成十八年六月二十日 一について 今後、内閣官房、総務省等において、関係 府省の協力を得つつ、引き続き検討を進めることとしているが、現時点で「人材の一括管理システムの導入」の具体的な期限をお示しすることは困難である。


二について  御指摘の「一括採用」については、各府省ごとにその 行政分野に応じて必要とされる人材が必ずしも同一ではないこと、特定の行政分野に携わることに意欲を有する有為な人材の確保が困難となること等の問題があり、その対象とする範囲を含め、幅広い検討が必要であると考えている。 以下、とにかく一括採用を導入したくないための言い訳が並ぶ。  回答者は内閣総理大臣・小泉純一郎であった。
 ”有為な人材”とはいうが、その有為な人材をことごとく腐敗させるのが今のシステムである。


T種の事務職の採用数は全体でも300人程度である。 さほど管理が難しい人数ではない。
本当はキャリア制度そのものをなくすのが一番いい。 T種・U種などという差別をなくして採用後の仕事や能力によって昇進させていけばいいのだ。


 ・・・ 外からはっきり見えるのが、階級社会である 警察キャリアである。
警察庁キャリアは、 採用即警部補。 1年の研修後、 警部に昇格。7年目に無試験で一斉に警視に昇任。
 ノンキャリの場合は、昇任試験を受け続け、一発合格を続けても、警視になるのは40を過ぎてしまうらしい。


  外から見えなくとも実質的に各省庁似たり寄ったりの システムであろう。  キャリア制度廃止が理想ではあるが、とりあえず 国家公務員の一括採用実現を要望する。 官僚丸抱えの民主党政権では望むむべくもないが……。
ましてこれまでそのシステムの上に乗っかってきた自民党にはなおさら期待できない。
”官僚”という言葉自体、わたしは嫌いである。 ”公務員”でいいではないか!
官僚改革には、政治任用を大幅に増やすことも有効であろう。が、これについては又の機会に言うことにしたい。


民主主義の確立のために! http://yamame30.blog103.fc2.com/blog-entry-223.htm   l


 さん より 【セシウムの降下と4号機問題】 暮れから正月にかけて、福島のセシウムが急増し、千葉も50メガベクレル(1平方キロメートルあたり)が観測されました。他の都府県はほとんどデータを出していないので、データ不足ではありますが、要警戒であることは間違いありません。
1月2日には400メガベクレルを超える降下物がありましたが、単純にこれを平方メートルにすると400ベクレルです。「1平方メートル」といえば、1メートル×1メートルですから、キャベツならせいぜい4つというところです。


 そこに1日で400ベクレルのセシウムが降ってくるのですから、1つのキャベツあたり100ベクレル・・・これは今度の新しい食品規制に触れる量です。しかも1日でそれだけ降るのですから、1ヶ月、キャベツを植えておくと、到底、出荷できない量ということになります。


 これが最新のデータですが、なかなか減らないのです。11月の状態と比較すると格段と違い、これを放置することはできないレベルにあります。福島から北関東、宮城の人は、マスク、洗濯物は屋内、家に入るときには服を叩いて入る、などの注意を継続することと、そのうち、葉物野菜、水道(川に落ちるから)に注意が必要です。

 このデータには4つの問題があります。 まず、発表が2日遅れるので「セシウムを吸ってしまってからデータが判る」ということと、「この測定点がもっとも高いセシウムなのかが不明。 2倍、3倍のところがある可能性がある」ということ、さらには「原因が不明で防御しにくい」とか、「地表に近いところで呼吸する子供はさらに危険」などがあります。

 9月から11月までほとんど飛散しなかったのですから、何が何でも、原因を特定し、範囲を限定し、多くの人たちが安心して暮らすことができるようにしなければなりません。 また、空気中にセシウムがあり、それが降下しているのですから、かならず野菜や水道に影響がでるので、それもこまめに発表することです。


 「危険を煽る」と言いますが、「危険そうなのにデータを出さない」というのがもっとも不安を煽ることになります。 是非、政府、自治体、報道、専門団体は方向を転換し、国民の被曝量を減らすように情報発信をお願いします。
今回の場合も、セシウムの粒径、セシウム以外の微量核種の分析値などがあれば、かなり判るのですが、何しろデータ不足で解析がもう一つ十分にいかない。 残念です。
もし詳細なデータがあれば、どこから来たか、マスクはどうすれば良いか、洗濯物は・・・と正確なアドバイスができるのですが。 私が国立環境研究所にでもいれば、これまで税金で研究をさせていただいた恩返しに、積極的にデータを出すのですが。


4号機の状態を詳しく調べていますが、どうしても 「逃げなければならないほど危険な状態」であるとは思えないのです。 3月の放射性物質の飛散にくらべて、 10分の1、100分の1というのはあり得るのですが、「日本がダメになる」とか「関東一円が待避区域」ということにはならないと考えられます。

 でも、「危険だ」と言っておられる人のなかに専門家の 方もおられるので、その理由をよく聞いたり調べたりしているのですが、これまで4月から12月まで「危ない、危ない」と言われていた状態とは基本的には変わっていません。

 詳しくは数日内にブログに書く予定ですが、1)4号機の核分裂は2010年11月に終わっている、2)再臨界が起こっても原発外に影響が及ぶことはない、3)崩壊しても3月の放出量の10分の1を超えない、と思います。

 本当の安心を得るためには、どれもこれも危険と言ってはダメで、本当に危険が来たときに言わないといけないからとても難しいのです。私の家族が北茨城に住んでいても、「4号機は大丈夫。でも3月に降った量が多いので、できれば移動した方がよい」と言うでしょう。
 完全に核心が得られるまでもう少し待ってください。それまでは大丈夫です。


天皇の皇居新築は 墓場の上に建築されていると 大王が言われておりました。
お墓の下に前方後円墳があるのは大王である。と歴史家が言われている。





三笠宮さまは“天皇家の秘密”をご存知だった!? ユダヤ(古代イスラエル)と日本の知られざるつながりに戦慄

2016年11月9日  先月27日、三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が薨去(こうきょ)され、今月4日には一般人の本葬に当たる儀式「斂葬(れんそう)の儀」が東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。昭和天皇の末の弟君で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮殿下は、古代オリエント史の学者としても知られるが、当初から研究のメインテーマが「古代イスラエル」そして「聖書」だったことは、あまり知られていない。

 天照大神を先祖とする皇族が、異国の宗教であるユダヤ教の聖典を研究されるというだけでも興味深いが、実は三笠宮殿下は、古代イスラエルと日本の皇室との関係、つまり日ユ同祖論的な学説について多大な関心を持たれ、調査されていた節があるのだ。もしも日本の天皇家と古代イスラエルにつながりがあるとすれば、日本の歴史がひっくり返る事態となる。今回は、三笠宮殿下と日ユ同祖論の謎に迫ってみたい。

【その他の画像はコチラから→http://tocana.jp/2016/11/post_11396.html】

■八咫鏡の裏にヘブライ語!? 三笠宮殿下は調査を約束していた

 第二次大戦時、三笠宮殿下は陸軍少佐として出征されていた。その際、敵のことをよく知ろうとキリスト教について調べられたが、聖書に記述された内容が架空の物語などではなく歴史的事実に基づいていることを知った時、そこから離れられなくなってしまったという。そして終戦後は、東大の研究生として古代オリエント史を専攻された。しかも、旧約聖書は翻訳では真意がつかみにくいという理由からヘブライ語を学ばれ、後にユダヤ人と普通に会話できるほど堪能になられたという。

 やがて歴史学者になられた殿下は、昭和28年1月、日本とユダヤの関係を研究し親善を深める目的で結成された「日ユ懇話会」の会合に出席された。その席上、天皇家に伝わる「三種の神器」の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」の裏に、ヘブル語(ヘブライ語)で「我は在りて有る者」と書かれているという噂が話題となった。

 この話には、さまざまな逸話が残されている。明治時代に文部大臣を務めた森有礼(ありのり)も関心を持ち、伊勢神宮へと赴くと、天皇でも見ることを許されない八咫鏡を大臣の権限として特別に頼み込んで見せてもらったという。すると、そこには実際に「我は在りて有る者」を意味する文字が書かれていたというのだ。

 この話に強い関心を持たれた三笠宮殿下は、いずれ調査すると語られた。このエピソードは、同席していた東京イブニングニュースの支局長がスクープして話題となったが、その後で実際に調査されたかどうかについては発表されていない。

■天皇家には何らかの秘密がある?

 この逸話を耳にした筆者は、大きな疑問を抱かずにはいられなかった。まず、このような八咫鏡に関する怪しげな噂話について、三笠宮殿下はヘブル語に堪能なオリエント史学者として、一笑に付すことが通常の反応ではないかと思うのだ。しかし殿下は、そうなさらず、なぜ「真相を調査する」と語られたのか? 実は皇室に、古代イスラエルとのつながりに関する何らかの話が伝わっており、そのような可能性があり得ると判断されたのだろうか?

 それ以前の疑問として、そもそも三笠宮殿下はなぜオリエント史、特に古代イスラエル史を研究されるようになったのだろうか? もちろん公式には、前述のような理由から聖書に惹かれたということになってはいるが、実は天皇家と古代イスラエルのつながりについて皇室内で秘密にされていることがあり、あらかじめ何らかの秘密をご存知だったのではないだろうか?

■「明治天皇の孫」が語った真実

 この“皇室内の秘密”について、筆者はまったく何の根拠もなく書いているわけではない。実は、「明治天皇の孫」を自称する人物が語っている内容が、天皇家と古代イスラエルとの関係を示唆しているのだ。

 その人物とは小林隆利氏といい、大正14年に名古屋で生まれているが、母親は「仁(しのぶ)内親王」という女性で、その父が明治天皇だという。もちろん、公的にそのような名の内親王は存在しないのだが、実際に明治天皇に何人の側室がいたかは極秘とされており、公表されていない内親王が存在した可能性は否定できないだろう。小林氏がキリスト教系の雑誌『HAZAH(ハーザー)』(2001年2月号)のインタビューで明かしたところによると、小林氏の母は明治天皇から次のように聞かされたという。

「仁、私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は、神道である。しかし神道は、本来はユダヤ教である。そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ」

 これがもし本当であるとすれば、実に驚くべきことだろう。明治天皇が自らの権限によって皇室の秘密を調べ、このような事実がわかったというのだ。さらに明治天皇は、仁内親王に対して次のように語ったという。

「仁、おまえが結婚して男の子が与えられたならば、キリスト教の牧師にするのだよ。きっと役に立つ時がくるぞ」

 そして、小林氏の母は天皇の遺言通りに、小林氏を牧師にさせた。この話は、古代の天皇が何らかの形でユダヤ教あるいはキリスト教を日本にもたらしたとも受け取れるではないか。真実であれば、天地がひっくり返るような大変な事態だ。

■天皇は日本を征服した騎馬民族(原始基督教徒)だった?

 ところで、三笠宮殿下が1954年に提唱され、初代会長を務められた「日本オリエント学会」という学術団体がある。そして後に会長となった人物には、「騎馬民族日本征服説」で知られる江上波夫氏(故人)がいる。

 三笠宮殿下と江上氏は非常に親しい関係にあったようだが、そもそも江上氏のような学説を唱える人物は、皇室にとって好ましくない存在であるはずだ。なにしろ騎馬民族日本征服説によれば、万世一系とされる天皇家のルーツが実は日本にはなく、東北アジアの騎馬民族が4世紀に日本を征服して天皇となったというのだ。

 その江上氏だが、東大時代には景教(中国のキリスト教、ネストリウス派)の研究で世界的権威である佐伯好郎(よしろう)氏に師事していた。佐伯氏の学説によると、景教は古代日本にも伝わっていたといい、それをもたらしたのが景教徒であった古代豪族の秦氏だという。その秦氏が、日本の神社にキリスト教的要素を取り込んだというのが、いわゆる日ユ同祖論者の多くが語るところだ。佐伯氏の弟子だった江上氏は、この景教渡来説を日常的に佐伯氏から聞かされていただろうし、その説に多少なりとも影響を受けていたかもしれない。

 景教渡来説をもっとも精力的に展開している人物としては、ケン・ジョセフ氏(ジュニア、シニアの父子)が挙げられるが、2人の共著である『【隠された】十字架の国・日本』(徳間書店)には、興味深いエピソードが記されている。

 それによると、ある時ジョセフ氏(ジュニア)は、キリスト教が定説よりも早く日本に入っていたとする原稿を提出したが、出版社の編集長から「歴史的根拠がないため受け入れられない」と言われた。しかし、ジョセフ氏がその説は正しいのだと執拗に食い下がるため、編集長は大学時代の恩師である江上氏に電話で聞いてみることにした。すると江上氏は、「ケンの考えは、私の考えとは若干の違いがありますけれど、否定はできません。また、もう一つケンに伝えてください。二世紀に日本に入ってきた基督教は景教じゃなくて、原始基督教が直接入って来たものです」と答えたという。

 もっとも江上氏は、公の場では一切そのような発言をしなかった。しかしオフレコの場では、上記のような持論を語っていたのだ。察するところ、江上氏は師である佐伯氏の学説である景教徒渡来説を認めていたことになる。晩年の佐伯氏は、(古代日本に景教をもたらしたのが)景教徒でなく原始基督教徒だったと訂正したが、その点も江上氏と同一だ。そうなると、江上氏が説いた騎馬民族日本征服説も(実はそこまで公表しなかっただけで)“原始基督教徒としての騎馬民族”が前提にあったのではないだろうか。

 果たして、日本オリエント学会などでつながる三笠宮殿下と江上波夫氏の思想的共通点は「古代イスラエル」だったのだろうか? 筆者は、いつか機会があれば三笠宮殿下に直接お会いして、ここで書いたことの真相をお聞きしたいと思っていた。だが、三笠宮殿下の薨去とともに、それも叶わぬ夢となってしまった。いずれにしても、今回紹介した八咫鏡の噂は、オリエント史学者である皇族までもが真剣に調べようとしていた経緯があり、日ユ同祖論が必ずしも怪しい言説とは限らないということはおわかりいただけただろう。
(百瀬直也)